燕旅行記
東海道本線の歴史的痕跡を探す ~国府津-根府川間編~(by 横浜臨海公園さん)
東海道本線国府津-熱海間は開業当初は現在の様に東海道本線では無く『熱海線』と言ふ東海道本線に付帯する独立路線でした。
開通まで御殿場経由の路線こそが本来の東海道本線だったものが、昭和9年(1934年)12月1日に丹那隧道開通と同時に丹那隧道を含む熱海-沼津間が開通と同時に東海道本線へと昇格し一夜にして分家が本家となり御殿場経由の路線が『御殿場線』として本家が分家へと凋落すると言ふ軒を貸して母屋を取られる逆転した存在になりました。
また熱海線全通以前は勾配登攀用補助機関車増結の為に国府津駅は全国で3往復のみ存在の特別急行列車『富士』『櫻』『燕』も含め御殿場駅構内で走行中に補助機関車を切離す上り『燕』を除く全列車が停車していたものが開通後は普通急行列車ですら通過してしまいます。
国府津-熱海間は大正中~末期に開通した為に歴史的痕跡が少ない様に思われがちですが、実際に開通後80有余年を経過し、また開通直後に関東大震災災害の被害を直撃受けたものの、実際には想像以上に残滓が存在するのが現状です。
今回の旅行記では国府津-熱海間で国府津-根府川間と根府川-熱海間に分け残り少なくなった歴史的痕跡を探求し紹介するものです。
表紙の写真は東海道本線白糸川橋梁
丸子梅園で見かけた梅図鑑(by hn11さん)
300品種もある梅の木、ほとんどが大木で間近に花が見れず、また木と木が交錯しており、枝にぶら下がっている名札の幹が判っても、撮影しやすい花から辿って行かなければ、どの名札か判らない。
今回は、やっと50品種程しか撮影できませんでしたが、時期を変えて開花状況の違う頃に、来て見たい所でした。
写真の梅は・・・燕脂梅<紀元前3世紀の書に出てくる古来の梅。緋梅性の初期のらしく原木は昆明黒龍潭の唐梅寺にある樹齢200年のものとされています。梅園の冊子から引用。>
韓国紀行7(8):5月7日:テグー・友鹿洞、鹿堂書院、サヤカ位牌(by 旅人のくまさんさん)
<2000年5月7日(日)>
今日は、今回の旅行の最後の難関、ウロクドン(友鹿洞)への旅行です。そのあとで、最後の宿泊地であり、最初の到着地でした、釜山へ向かう計画です。
このウロクドンは、予め旅行記で読んでいたものの、詳しい道順などは載っていませんでした。テグーの近郊であり、かなりの田舎にあると言う事ぐらいが分かっていました。
<ウロクドン(友鹿洞)へのバス>
宿は朝一番でチェックアウトし、荷物はテグー駅の地下鉄構内のコインロッカーに預けることにしました。昨日のバス検索システムを頼りに半月堂の地下鉄を降りたところで、バスを待つ事にしました。目指すバスはすぐにやってきました。ここまでは何の問題もありませんでした。問題は、この後にやってきました。
1時間ほど走って終点に着きましたが、ウロクドンらしきところは見当たりませんでした。Muさんが付近の人や、運転手さんに聞いてみても、『分かりません。この付近にはありません』と言った返事のようでした。バスの運転手さんだけは、山の向こうを指さして『あっちの方』と言った教え方をしてくれました。
それで、仕方無しに、乗ってきたそのバスに、また乗りました。『バスで途中まで戻って、出直そう。今度は、タクシーでウロクドンを案内してもらおう』といった作戦を考えての事でした。
しかし、その作戦は不要になりました。暫く走ったところで、運転手さんが『ここで降りなさい』と促してくれたからです。しかし、降りてもその後が見当付きませんでした。ここでまた、Muさんが地元のご年配の男性にウロクドンの方角を尋ねましたら、『ここでバスに乗ればいい』と教えてくれました。なんと同じ路線番号のバスです。
同じ番号のバスでも、行き先が違うのには参りました。しかも最初のバスにもフロントのところに『ノクトン(鹿堂)』の標識が付いていました。後で思い起こしますと、『そういえば最初のバスは赤字、今度は黒字で書いてありました』と言ったことくらいです。これはいまだもって、事情がよく飲み込めません。
そのご年配の方は、日本語も話せる方で、目的のバスが前を通り過ぎようとすると、大声を出して走り出し、身振りを交えてバスを止めてくれました。こちらも走りながら、その親切なおじさんにお礼を言ってバスに飛び乗りました。
このバスの運転手さんは女性でした。まだ30代と言ったところです。白い帽子に濃いサングラスをかけていました。その運転の凄まじいのには、思わず『女兵士を退役したばかりでは?』と言った推測をしました。
彼女は、狭い道を凄いスピードでハンドルを切っていきました。確かに運転はうまいですが、乗っていて緊張しました。しかし、地元の人は顔見知りも多いらしく、みんな挨拶を交わしながらバスを降りていきました。
そんな事があって、やっとたどり着いたウロクドンです。
<ノクトンショウォン(鹿堂書院)>
バスは終点まで乗りましたが、終点近くでノクトンショウォンの建物が確認できました。ひと安心です。道路には横断幕があって、日本の高校からの団体客も来たようでした。横断幕には『サヤカ研究会』の日本語の文字がありました。
書院への観光客はまばらでした。案内板を見ると、『予め連絡すれば、無償で堂を開け、案内もします』との趣旨が記されていました。
それで、半ばお堂のお参りは諦めていました。しかし、記念館の隣からネクタイを締めたご年配の方が姿を現し、お堂を開けていただけることになりました。
「お線香と蝋燭、それとお酒の分のお賽銭だけ上げて下さい」
と、言った説明がありました。堂の奥の椅子の上に飾られたサヤカの位牌にお参りする時、
「私の仕草に続いてお参りしてください」
と教えて頂きました。その作法は、手を目線まで水平に上げて、少し重ねて頭を垂れ、そのまま跪き、頭を床まで付けて深く礼をすると言う所作でした。これを2回繰り返しました。
「ここまで来た甲斐がありました」
と、心でお礼を言って、お参りしました。その後は、何とも言えない厳粛な気分に浸りました。
<ウロクドンでの昼食>
昼食はバス停近くの桟敷で食べることにしました。昼頃のバスでテグーに戻るつもりでいましたが、歩いてバス停に戻るうちに、時間前にそのバスは発車してしまいました。これも、日本ではなかなかお目にかからないことですが、ケンチャナヨの世界では、そうもいきません。郷に入ったら、郷に従えです。
昼食を取った場所は、バス停、サヤカの碑から近い所でした。川べりに設えられた、吹き抜けの桟敷でした。風に運ばれて、盛んに柳絮(りゅうじょ、柳の綿)が飛んできました。残念ながら、花粉症気味の私には、少し厳しい環境でした。
散々待たされて出てきた料理は、3人前で、洗面器一杯はあろうかと言う、鳥鍋です。あまりのボリュームに一瞬たじろぎました。しかし、なかなかの味でしたから、その杞憂は吹っ飛びました。地鶏を半羽以上は使ったようです。人参、芋等の野菜もたっぷり使ってありました。別に山菜サラダも付いていました。
会計を少し危ぶみましたが、締めて23000ウォン、一人当たり800円弱とお値打ちでした。帰りのバスは、中堅の男性運転手さんでした。往きのことがあって、少し心配しましたが、全くの杞憂でした。余り飛ばさずに、確実な安全運転でした。テグー駅まで行くバスでしたので、そこで降ろしてもらいました。
<再び釜山へ>
ついに最後の難関もクリアーして、韓国内最後の地、釜山に向かいました。バスと電車のどちらにするか迷いましたが、電車のダイヤが少なかったので、市外高速バスにしました。かなりの数のバス会社が集まっていましたが、なかなか釜山行きのバスが見つかりませんでした。さほど離れていない大きな都市間の交通なので、一寸不思議な感がしました。
以前、高速道路でプサンに向かった時、大変な交通渋滞で閉口したことがありました。岡崎のTaさんとMuさんとの3人旅の時でした。今回も危ぶみましたが、幸いその時ほどの混み様ではありませんでした。
到着した釜山の町は、花祭りのパレードの最中でした。釜山の北に位置する市外高速バスターミナルから、釜山駅へ向かうタクシーは、ずっとこのパレードと一緒でした。距離にすれば、優に5kmは超えていたようです。
この間、日本風に表現すれば、町内会、会社、学校等様々なグループが、意匠を凝らしてパレードに参加していました。まさに、釜山市民全員参加のお祭りです。
パレードの途中、韓国に到着の5月1日に駅前に飾ってありました竜の縫いぐるみらしきものを見かけました。予想通り、駅前の縫いぐるみは無くなっていました。先ほどのパレードに参加していたに違いありません。一際大きかったので、目に付きました。
<釜山の宿>
釜山では、釜山観光ホテルなどもお値打ちに泊まれますが、下町の安宿が気に入っていますので、こちらにしました。日本風に表記すれば『ソウル荘ホテル』となります。今回が3回目です。
そのホテル、と言うより観光ビジネスホテル、あるいは観光旅館は、釜山タワーが目印の、その岡の南側に位置しています。大韓航空の事務所を目当てにしても、方角の見当が付きます。
北側に面した入り口からフロントのある二階に上がりましたら、すぐに日本語が流暢な、年配の女将さんが対応してくれました。若女将がすぐに呼んだようでした。料金は一人当たり25000ウォンとお値打ちです。ただし、最初に泊まったときは、17000ウォンだった記憶があります。随分昔の話になりました。
この宿が好きになった理由は、チャガルチシジャン(市場)、ククチェシジャン(国際市場)が、歩いていける距離にあること等です。目印に、北側の山に釜山タワーの明かりが、夜通し点いているのも便利です。いつも宿を探す時に気をつけるのは、メイン道路に面していない事です。夜遅く、朝早く、車の騒音でうるさくされては敵いません。この宿も本通りからは1本入った道に面していますので、車の音が気になりません。
テグーの街角で
春落葉ヒマラヤ杉の大通り
歩道石大樹持ち上げ若葉萌ゆ
燕の独り囀る線の上
友鹿洞を訪ねて
先達に倣いて詣る寺若葉
柳絮飛ぶ川辺の桟敷遅き昼
藤咲いてひとり遊びの子犬哉
【旅行時期】2000/05/01~2000/05/08
【エリア】
大邱
【テーマ】
【投稿者】
旅人のくまさん
韓国紀行3(2):4月28日:名古屋出発ソウルへ、旅での出会い(by 旅人のくまさんさん)
<1998年4月28日>
朝の9時30分の大韓航空機に機乗するため、6時頃に家を出ました。放射冷却の影響でしょうか、少しひんやりとした空気が心地よかった。
地下鉄駅では少し待って、6時15分頃発に乗ることができました。西春駅まで乗り換えなしに30分少しで着きました。バスに乗換え、空港へも十分に余裕をもって到着しました。空港までの経路は空いていました。早い通勤の人がまばらに乗車している程度でした。こんな状況で、早くも旅の風情を感じることができました。
今日はまだゴールデンウィーク前であり、早い時間の通勤の人には少しだけ遠慮をしながらの旅行出発でした。
<経済不況>
機内は空いていて、経済不況の煽りかと心配になりました。このところ、長引く不況の影響が、日本、韓国を始めアジア各国に蔓延していることの情報が、新聞、テレビなどのマスコミを通じて流されていました。
日本の経済不況にも増して、韓国のそれは更に厳しいものがあるとの報道もされていました。しかし、そのこととは無関係に、予定通りのフライトにより1時間半余りでソウル近郊の金浦(キンポ)空港に降り立ちました。
この韓国経済不況の状況は到着した金浦空港内での照明間引き等で早速実感することができました。例えるなら、オイルショック後の日本のような感じでした。至る所にIMFを意識した『公共交通機関を利用しましょう』などの看板が目に付き、ボランティアの人と思われる街頭基金集めの人とも、人の集まるあちこちで出逢いました。
日本円は去年、1997年の今頃に較べますと3割ほど下がっていました。しかし、ウォンはそれより更に下がっていました。海外旅行者としては有り難いような、韓国の人に同情したくなるような複雑な気持ちにさせられました。
昨年は、ウォンから円への換算は、一桁下げて5割増で暗算していました。例えば、1万ウォンを一桁下げて千円、その5割増しで1500円の換算でした。しかし、今回は丁度1桁下げるだけで換算できました。1万ウォンが千円見当です。因みに、一昨年は一桁下げて2割増しの計算であり、1200円程でした。
<旅のメンバー>
今回の旅行はMuさんが従兄弟を連れてくることになっていました。従兄弟の彼にとっては、初めての海外旅行だとお聞きしました。しかし、一人で入出国手続きとって別の便で日本を飛び立つことにしてありました。Muさんの教育的指導の一環でした。G大に合格した祝いの旅行ともお聞きしました。
そのHg君を出迎えに、時間を見計らって2人で金浦国際空港に向かいました。荷物はソウル市内のコインロッカーに預け、身軽な格好で地下鉄に乗って出掛けました。
Hg君の乗った便は予定通りに到着しましたが、30分以上経っても落ち合えずに、少し心配しました。ゲートから出てくる元気そうな顔を見て、二人でほっとしました。私はこの時が初見でした。サッカーが趣味だとお聞きしました。
<旅のテーマと宿探し>
今回の旅のテーマは、さしずめ『停戦ライン巡り』と言ったところです。西端はソウルの北数十キロの板門店(パンムンジョム)と、東端は38度線より相当北に位置する統一展望台(トンイルチョンマンデ)の観光を主な目的地としました。
何れも私自身は始めての所です。Hg君とも落ち合ったところで、宿探しです。これは金浦空港の観光案内所で紹介してもらうことにしました。3万ウォンから5万ウォンくらいのクラスでソウル市内の安宿を名簿で捜して貰ったところ、ソウル市内の地下鉄に近い場所で2万5千ウォン程の安宿が見つかりました。思ったより安い料金でした。早速、観光案内所から連絡を入れてもらい、その宿の付近図が印刷された名刺大のカードを貰いました。
<地下鉄乗車券自動販売機>
ソウル駅から宿までの移動は地下鉄です。自動販売機で切符を買う時に、少しとまどいました。お金を先に入れるか、区間と枚数を先に指定してからお金を入れるかの違いです。2種類の機械があるのでややこしくなっていました。
新しい機械は、お金を先に入れると、そのお金で買える区間のランプが点灯するようになっていました。同じようにとまどっていた旅行姿の若い女性から、切符の買い方を尋ねられましたので、アドバイスしました。たった今経験したばかりなので簡単なことでした。流暢な日本語を話す人でした。
彼女が日本語に堪能な理由は、後で解りました。実は仙台市教育委員会の仕事で、日本人の英語教師に英語のアドバイザーをしているためでした。アメリカ人で、名前をロイス・フレージャと言われる方です。
交換した名刺にも、お聞きしたことが印刷されていました。その前には、3年間、福井で仕事したこともあるとお聞きしました。
「仙台で仕事をするようになっても、中々福井訛りが取れずに困りました」
とも後で語ってくれました。仙台の人達から、『変な外人』と思われてしまったようです。ロイスは、今回は一人旅だと言うので、夕食を一緒にする約束をしました。先ほどの自販機の件で、たまたま同じ路線の地下鉄を利用することが分かりましたので、最寄の地下鉄駅で落合う時間を決めて別れました。
<泊まった旅館>
観光案内所で貰ったホテルの名刺には、なにやら立派なことが書いてありましたが、かなり年季の入った旅館でした。この旅館の場所を探すのに、随分と時間がかかってしまいました。
ホテルの名刺に描かれた略図がかなり端折ったものだったからです。付近の人に名刺の地図を示して旅館の場所を尋ねましたら、わざわざ旅館の場所まで一緒に付いて来てくれました。実に親切な人でした。
案内してくれた人にお礼を言って、その旅館に入りました。ソウル駅の観光案内所で紹介されたと告げましたら、宿の女将さんは、すぐに了解して部屋に案内してくれました。
かなり古い建物でしたが、部屋ごとに風呂も付いていて、鍵も二重に施錠できるようになっていました。翌日の板門店ツアーを考えて、この宿で2泊することにしました。
部屋に荷物を置いたところで、女将さん(こちらでは、何と呼んだらいいのか分からないので、取りあえずそう呼ばせて戴きます)に、お勧めの焼き肉店を教えて貰いました。アメリカ人のロイスには、魚料理よりは、カルビ焼きなどの焼肉の方が大丈夫と予想した上での店選びだでした。
<ロイスとの再会>
ロイスとは、約束した地下鉄駅の改札口で、難なく予定の時間に再会できました。地下鉄での話の続きです。
「今回は、私の女性友達と2人で旅行する予定でしたが、相手の都合が悪くなり、迷った末に一人旅にしました」
等の話を歩きながらお聞きしました。どうやらお友達が、急に体調を壊されてしまったようです。
「宿の人から、カルビ焼きの店を紹介してもらったので、その店にしませんか?」
と確認しましたら、予想したとおり、
「焼き肉は大好物です」
との答えが返ってきました。宿で紹介してもらった焼肉店はすぐに見つかりました。ビル造りの中々立派な店でした。店の周りには、広い駐車場もありました。店の案内の方に、座敷ではなく椅子席をお願いしました。
食事の時にお聞きした話です。
「教育委員会の仕事で1年間オーストラリアに留学した時、オーストラリア訛りが移ってしまい、困りました」
「アメリカに一時帰国した時に、その訛りがでて、友達から変な目で見られてしまいました」
等と語ってくれました。また、
「宿は1万5千ウォンで、私を含めて6人の女性が相部屋になっていました」
と教えてくれましたので、
「こちらは、それぞれお風呂が付いた個室です。設備は古いですが2万5千ウォンでした」
と話しましたら、
「私もそんな宿にすればよかった」
と随分悔しがっていました。
「韓国は2回目の旅行です。今回ソウルで1泊した後、翌日からは4日間のタイ旅行に出掛ける予定です」
「タイでは、バンコクとそれより北の少し温度が低い町に行く予定にしています」
とも教えてくれました。こちらも大雑把な今回の旅行計画をお話したり、かつて、行ったことがある韓国の名所旧跡などの紹介をしました。
野菜で包んで食べるカルビ焼き(カルビクイ)が美味しかったせいか、
「韓国はもう少し日程を伸ばせばよかった」
と、ロイスは残念がっていました。食事が終わった後で、
「旅行から戻ったら、インターネットで便りを交換しましょう。でも、私はローマ字になりますが、いいですか?」
と尋ねられましたので、
「それでも構いません」
と約束して、メールアドレスを交換しました。食事が済んでも、まだ早い時間でしたので、
「近くに南大門市場がありますので、そちらを見学する予定です。よろしかったらご一緒しませんか?」
と誘いましたら、すぐに賛同してくれました。帰りは、散歩を兼ねて3人で彼女を宿まで送り届けました。女性専用の宿らしく、頑丈な鉄策が張り巡らされていました。門の前まで送り届けて、お互いの旅の無事を祈って別れました。
ロイスは、色々な込み入った内容の話題でも、すぐに日本語で反応でき、相当なインテリに見受けました。とにかく、笑顔が絶えない態度にも感心させられました。しかし、日本語があまりにも上手なので、こちらの英語の勉強にならなかったのが、少し残念でした。韓国旅行の初日から、楽しい出逢いの旅になりました。
名古屋空港へ向かう途中にて
逝春や人は疎の旅の朝
この春も韓半島を巡る旅
燕や巣は定まらず飛交える
長旅の燕我を見送りぬ
暖冬の名残か旅装迷いけり
目を閉て想い浮ぶる去年の春
新緑の力漲る若欅
ハナミズキ若葉優りて花咲ける
休耕田最早野草の覆いける
金浦空港に降り立って
節電の韓国不況春暗し
【旅行時期】1998/04/28~1998/05/04
【エリア】
ソウル
【テーマ】
【投稿者】
旅人のくまさん
韓国紀行1(6):5月1日:麗水・松広寺、光州、南鎮館(by 旅人のくまさんさん)
<1996年5月1日>
5月1日のメーデーの日、光州市から麗水(ヨス)へ向かう途中、松広寺(ソングヮンサ)に立ち寄りました。この寺も秀吉軍に攻められて、焼き尽くされた古寺です。この日、予定通り半島南端の1つ麗水(ヨス)まで移動し、宿を求めました。
<松広寺(ソングヮンサ)>
Tnさんから、この松広寺には、珍しく石塔がないと教えて戴きました。相当に広い境内であすが、まだ完全には再興が出来ていないようでした。輸入木材を自前で製材しながら、復興作業を続けていました。
このお寺には修行僧が多く、境内の大部分は立ち入り禁止となっていました。潜った山門には『曹渓山 松広寺』のほか『僧宝宗』の文字がありました。禅宗の寺です。
ここで、観光ガイドブックを引用しながら松広寺を紹介しておきます。
『この寺は、高麗時代から高僧を排出した名刹として知られ、仏教における三宝(仏、法、僧)の内、僧を大切にする宝僧寺院として高名であり、今も韓国内にとどまらず、世界各国から集まった僧がここで修行を続けている』
と、紹介されていました。一言で言えば、修行のお寺です。
<エンジェル号>
翌日フェリーのエンジェル号で多島海巡りをしながら釜山(プサン)ヘ向かう計画でしたが、生憎のエンジントラブルでした。欠航の見込みとのことで、翌日の乗船予約はできませんでした。
エンジェル号は、この時を含めて何回か挑戦しましたが、結局乗船することは出来ませんでした。何年か前には就航そのものが廃止されてしまいました。そんなことで、未だに多島海海上国立公園の島巡りは実現していません。
<メーデーのこと>
韓半島を南下する車の中で、ラジオ放送でのメーデーの演説を聴きました。司会者に紹介されて、政党や労働団体の代表者などが演説を続けていました。その真打で登場したのが、日本からの拉致事件などで知られる金大中(キムデジュン)氏でした。
それまでの演説も、中々の迫力で民衆に訴えていましたが、ハングルは解せないものの、彼の演説が、一番説得力があったように聞こえました。ゆったりとした口調から次第に盛り上げていく調子が素晴らし演説でした。
演説会場は、多分ソウルだと思われました。たまたま金大中氏の故郷の光州が近くだったので余計、印象に残ったのかも知れません。彼はその後、大統領に当選し、任期を全うしました。
<麗水(ヨス)の町、泊まった宿>
麗水は、光州(クァンジュウ)が道都である全羅南道(チョンラナムド)の東南端に位置していて、リアス式海岸の風光明媚な港町です。海洋観光の拠点であり、最近の情報(2004年時点)では、2010年に海洋エキスポが開催される予定となっています。
日本で例えれば、三陸海岸に類似した地形です。ところで、麗水で泊まった宿は街道沿いでした。真夜中どころか、朝方まで喧騒が続いて、閉口しました。うるさくて、中々寝付くことが出来ませんでした。どうやら、南鎮祭と呼ばれるお祭りの前夜祭の日に当ってしまったようです。
<南鎮館(チンナムグァン)>
秀吉軍のことは、この小文で何度か触れました。秀吉軍が攻め入った『倭乱』の話の続きです。秀吉軍を前に、朝鮮軍は総崩れになりかけましたが、中国の明の助けを借りたり、ゲリラ戦で何とか持ちこたえました。
その窮地を最後に救ったのが水軍を率いる李舜臣(イ スンシン)将軍です。この李将軍が閑麗水道で日本軍を迎え撃ったのが『亀甲船(コブクソン)』と呼ばれる亀の甲羅のような屋根を持つユニークな船です。
現物は残っていませんが、文献を元にレプリカが作製されています。南鎮館は、この李将軍が全羅左水軍と呼ばれる海軍の本拠を構えた建物です。現在の建物は18世紀に再建されたもので、68本の巨大な柱を持つ、韓国有数の巨大木造平屋建築です。港を見下ろす見晴らしのいい高台に造られていました。
麗水へ向かう途中にて
月替る途端に今日の五月晴れ
燕は来たり初めは高く飛び
田起して水待つ山の里の春
新緑のまにまに石置く丸き山
朱一面ツツジ畑の光州路
街路樹の殊更朱き光州路
メーデーの演説聴きつ光州路
黒山羊の若草食める親子哉
松広寺を訪ねて
チマチョゴリ萌黄に染むる松広寺
蕨売るアジュマが座せる彼岸橋
太鼓橋子等が昼餉の松広寺
四天王餓鬼の鼻先花の舞う
天の邪鬼苦難を食みて春来る
海超し大木仰臥す寺の春
花の寺新堂立ちぬ無垢の木目
縁起絵を巡れる春の午後の寺
南鎮館に登りて
南鎮祭倭冦に胸の痛む春
南鎮館昇りて南に霞む海
麗水の宿にて
南鎮祭前夜の喧騒夜明まで
春野菜アジュマが捌く朝の市
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